モラルと未来

2021年になりました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。私は近々、二度目の自己破産裁判に出廷です。現時点での状況的には、免責は間違いないと思いますが、予想外に裁判が長引かない事を願っている次第です。

 

そんな中ですが、今回は前回の記事で少し触れましたが、低下しているモラルについて語りたいと思います。

 

そもそもモラルとは何か。Wikipediaによれば、モラルとは『道徳』を指す言葉だとあります。

 

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当たり前で引用したり、発したりしている言葉ですが、その意味そのものをしっかりと理解しているかと聞かれると、意外と理解していなかったりするものです。

 

そして、それらの変化が重なり続けて『未来』に繋がっている。私はそう考えています。

 

道徳とは

 

道徳(どうとく)は、中国の古典を由来とする観念であり、「」と「」という2つの考えからなる。道とは、人が従うべきルールのことであり、徳とは、そのルールを守ることができる状態をいう[1]道徳的規範(どうとくてききはん)や道徳性(どうとくせい)ともいう。倫理(りんり)はいくつかの意味をもち、道徳を表すことが多い。モラルとも称される。

 

上記はWikipediaより抜粋しました。ここからも分かる通り、明確な答えは存在していません。結局のところ、個々人の判断に委ねられているというわけです。

モラルの低下と叫ばれていますが、そもそもそのモラル自体が幼い頃から植え付けられた価値観に基づく物でしかなく、善悪すらも立場で変わるのがこの世界です。

 

一人殺せば殺人者、千人殺せば英雄

 

聞いた事があるかもしれませんが、人間という生き物は根拠を欲します。その根拠を示すに当たり、数字という概念への信頼度はずば抜けており、そういうインプリンティングを施されています。

今でいえばSNSのフォローの数が良い例でしょう。例え、モラルに反した言葉であっても、多数のフォロワーを保持し、イイネや拡散を数万、数十万と得た場合、これは世論としての力を持った言葉となります。

発言回数も増え、見聞回数も増えたこのネット社会において、モラルとはSNS上の世論数となり始めているのです。

 

本質的には低下ではなく変動

 

私もモラルの低下と表記しましたが、道徳という概念に上下はなく、あるのは変化、変動だけだと思います。

よって、本質的にはモラルの変動が起こっていると表現すべきではないかと思います。また、その変動の頻度が増え、昨日の正義が今日の悪になりかねない世界になっている事から、不安を覚えている人が増えているのだと考えています。

 

これらが作る未来とは

 

発言しない者は悪という世界になる可能性があります。

主張しない事こそ正義であった日本社会だからこそ、この変化が緩やかですが、世界はすでに、いち早く主張した者が正義となり、賛同者を集めた者が時代となっています。

その波は、昨年のコロナによって大きくなり、今年はますます過熱するのではないかと考えています。

 

職業、生き方、全てに変化

 

結果として、それは生き方や道徳を変え、それはニーズを変え、職業を変える。全てを変化させていくことでしょう。

これらの流れを完全に読む事は不可能ですが、自分の近く、知る世界の小さな変化を読み解く事はできるかもしれません。

それをSNSなどで発信する事で小さな起爆剤となり、世界を覆う大爆発となるかもしれません。

これまでも、そういった化学反応は起こっていましたが、加速し続ける波はもう止まる事はないほどに大きくなりました。

 

法改正は後手を踏む

 

変化の速い世界に、法は追い付けないでしょう。結果、無法地帯化が進んでしまうと思います。

いかに自分や家族、仲間の身を守るか。私たちの知識、戦略がダイレクトに試される世界になったのです。

便利にしようとし過ぎた結果、弱肉強食という生物の原点に戻ってしまったわけです。

 

国が、法が、会社が守ってくれる。そんな時代は終わるのです。準備はできていますか。