私という人物

プロフィール

高校卒業後、地方の総合食品商社へ勤め、三年でトップセールスまで上り詰めました。

47都道府県での得意先に加え、中国、韓国との貿易を行っていた同社のノウハウを軸に、集まった情報や人脈から、調子に乗っていた私は、とある赤字法人を格安でM&Aして手に入れ、株式会社の代表取締役となりました。

 

日用雑貨から食品まで、さまざまな商材を全国各地へ仲卸する他に、飲食店を三店舗を展開。従業員数40名、年商4億という実績と飲食店オープン時に終日二時間待ちという盛況を呼び、経済新聞にも取材を受けました。

 

そんな中、韓国との貿易商材でトラブルが発生。提携企業の裏切りともいえる行為により、国際裁判手前の事態に陥りました。

この事件は、銀行のバックアップにより、窮地を免れたが、その後、まるで罰を与えられているかのように、次々と不幸の連続しました。

 

従業員関係者の自殺、新商品開発に着手するもパッケージ完成直後、メーカー倒産・・・

 

資金ショートを起こし始めると銀行は掌を返したように撤退を始めました。すでに総額1億弱という負債を背負った中、売上がゼロになってしまいました。

 

若かった私は、その時にはすでに心が折れており、未来の再起を誓い、自己破産の手続きを始めました。

 

無事、免責となった後、様々な事に挑戦し、今もなお、成功と失敗を繰り返して生きているチャレンジャーです。