倒産の際の弁護士選びについて

この記事では、どんな弁護士に倒産手続き、所謂法人破産を依頼すべきかを紹介したいと思います。

 

法人破産は、個人破産とリンクしています。何故なら、法人が融資を受ける際に、必ず代表者は連帯保証するからです。

 

もちろん、例外はあります。個人としては資産を山ほど持っているという場合は、それを現金化して、連帯保証分を支払えば済むでしょう。

 

しかし、実はそんなに甘くはないのです。それは、負債を残した『相手』によるからです。

 

倒産する際に大切なのは負債相手の選定

 

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本当にギリギリまで粘ってしまった場合は、選定の余地もないと思います。しかし、私はギリギリの一歩手前での倒産を推奨したいです。

 

理由は、揉め事が少なく、また巻き込まれて倒産連鎖を起こさないで済むからです。簡単に言うと、社会的被害が少なくて済む、という事でしょう。

 

A.金融商品業界負債のみの場合

 

まず、こう言ってしまっては業界の方に怒られてしまいそうですが、残していいのは、金融機関や担保を設定しているリース会社など、金融商品業界です。

こちらの業界は、年度予算にある程度の倒産リスクを計上しており、それを踏まえて金利の設定や売上ノルマを設定しています。

そのため、機関規模にもよりますが、おおよそ地銀(地方銀行)で5千万、信金(信用金庫)で3千万、メガバンクで1億を超えない限りは、騒ぎにはならずに免責を迎える事ができると思います。

 

金融商品業界だけの負債で倒産をする場合は、弁護士はどんな人でもいいでしょう。しかし、資産を持っている場合、100万円未満までしか手元に残せません。

その事情を踏まえた上で、できる限り協力的に動いてくれる弁護士に頼むと良いでしょう。この場合は、なるべく暇な弁護士がいいかもしれません。その分、良く動いてくれます。

 

私は、このパターンでしたので、簡易裁判で債権者は一人も現れず、弁護士と裁判官の話合い20分程度で、免責となりました。

 

B.他企業負債も残したままの場合

 

仕入業者や売上業者など、他企業の負債も残したまま、金融商品業界も残しているケースです。この場合、連鎖倒産の可能性があり、債権者の中では、この負債で突如、経営難に陥る場合もあります。

 

そういった債権者は、少しでも債権を回収したいとゴネます。ゴネるというと語弊がありそうですが、当然の主張であり、巻き込まれて倒産してはという必死さは理解できると思います。

 

こういうケースの場合は、Aで述べた暇な弁護士では揉める可能性があります。できれば、法人倒産の経験が豊富で、民事に強い弁護士を選ぶといいでしょう。

 

C.従業員賃金未払もある場合

 

 個人的には、一番避けて欲しいケースです。しかし、突然の資金ショートなど、経営というのは何が起こる分からないのも現実です。

 

こちらのケースは、A.B.の債権者に加え、従業員という債権者もいますので、B.で述べた弁護士の中でも、民事に強い、交渉力やコミュニケーション力の高い、心象の良い方を選ぶと良いでしょう。

 

弁護士とはどのような話をする事になるのか

 

ありのままで大丈夫です。弁護士とは、お金を得る事で、依頼者を弁護、守るのが仕事です。全力で助けてもらいましょう。

 

私の場合は、まず、借金の内訳の説明から始まり、帳面など企業情報の提出をしました。また、個人資産についても同時に説明をします。

 

提示する情報としては下記の通りです。

 

  • 法人の借金の状況(借入先、金額の説明)
  • 法人の帳面など、決算に使用するような資料各種提出(破産が必要である証拠を準備)
  • 個人の借金の状況(借入先、金額の説明)
  • 財産の内訳

 

全部、あっけらかんと説明してしまって大丈夫です。後は、弁護士の方が詳細を説明してくれます。依頼するとすぐに、借入先各社へ内容証明での督促の停止が送られます。

すぐに催促は止みます。催促で悩んでいる方は、すぐに良く眠れるようになるでしょう。

 

その後、不足資料がない限りはただ時間が過ぎるのを待つだけです。就職して仕事をしていても大丈夫です。

 

私の場合は、驚くほど、何もしないで裁判を迎え、免責を受けました。

銀行から融資を断られるという事=死の宣告?

新規立ち上げの場合、融資を断られるのなら、やらなければ良い事でしょう。

 

しかし、融資を受けて運営している状況下での『銀行から融資を断られる』という答えはかなり意味合いが変わって来ます。こちらは、例えるならば、死の宣告とも感じるのではないでしょう。

 

この記事では、銀行を融資を断られた時について、紹介したいと思います。

 

融資というのは必要のない時は枠がある

 

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上手く出来ている物で、融資というのは必要のない、絶好調の時は余計に枠があります。それもそのはず、資金繰りが上手く行っているのですから、担保として評価できる要素も数多く存在するからです。

 

「社長、少し付き合ってくれませんか?」

 

金利で稼ぐ銀行としては、担保の多い相手に貸して、金利を取りたいのが本音でしょう。良い操業をしている時は、取引銀行からこんな声がかかる事も多いでしょう。

 

巷では信用付けのために、借りておいて少し付き合っておくと良い、などと言われていますが、それはよっぽど強いパイプがある場合です。

 

実際、銀行マンという職業は、2、3年で転勤させられてしまい、癒着しにくいように作られています。そんな中、どうしても融資を受けたい場合に備えてコネを作るなら、転勤2年目の人物にツバを付けると良いでしょう。

 

その人物が転勤直前、融資を付けてもらえば、その後は引き継いだ人間の実績になるため、事故を起こして前者の経歴に傷は付かないため、乗る可能性は上がります。

 

話はズレましたが、融資というのは、下がり始めにしか付きません。下がり切ってから、慌てて申し込んでも手遅れになります。

 

私も当時、調子よく年商が膨らんでいる間は、出店計画に合わせて銀行はどんどん融資してくれました。最初は500万円、1,000万円、2,000万円・・・

 

加えて、個人としてマイホームの購入など、借金は転がるように増えて行きました。

 

『借金も財産のうち』

 

なんて言葉を鵜呑みにしていた当時の私は、借りられるなら借りてしまえと、どんどん借りて手を広げました。

 

先の記事『倒産の決断』にも記載しました、韓国との貿易商材でのトラブルの際、状況は一変しました。

 

「長期は・・・厳しいですよ、社長。短期でしたら」

 

今までは3年、5年、7年というスパンでの融資ばかりでした。しかし、この時、担当者が提案したのは、半年後一括返済という言葉だったのです。

 

しかし、借りなければ国際裁判が待っていた私は、首を縦に振るしかありませんでした。

 

この後でした。毎月顔を出していた、多い時には毎週、お茶を飲みに来ていた担当者が一切、顔を出さなくなりました。私は、売上拡大に追われる毎日を送り、あっという間に半年が経過しました。

 

「これ以上の融資はできません」

 

半年後、何とか短期分は返済しましたが、運転資金ゼロとなっていました。向こう半年ほどの資金が欲しいと懇願しましたが、答えはこの通りでした。

 

ここからは、まるで雪崩のようでした。私は自己資金も吐き出し、売上拡大に努めましたが、思い通りにいかず、なくなる一方の通帳資金に頭を抱えました。

 

『このままでは従業員の給料も払えなくなる』

 

そう思った私は、残っている少数のスタッフに当月分の賃金を満額支払い、月初めで退職してもらいました。勤務していない日数分の給料で、就職活動して頑張って欲しいと見送りました。

 

それから、仕入業者へ支払を全て行うため、売上業者へ入金の催促を行いました。事情を包み隠しなく説明し、頭を下げ、各社へ挨拶して回りました。

 

そして、銀行やリース会社への支払いだけを残し、私は知人社長に破産するための弁護士費用を融通してもらい、弁護士事務所へ向かったのでした。

 

事業途中で銀行から融資を断られるという事は、帳面上及び今後の資金繰り計画上、回収不能という判断を下されたという事です。ここから巻き返すのは、努力だけでは難しいでしょう。

 

その後、私はそう言った相談があった中小企業の融資付けの手伝いも行いました。結果は、やり方によっては融資が付く企業が大半だという現在の私の結論です。

 

ただ、この状況になった場合は、自己破産は視野に入れておくべきかと思います。

再起、就職への影響

自己破産については、これまでの記事で粗方お分かりいただけたかと思います。しかし、大切なのは、これまでの記事でも伝えて来ました通り、『その後』なのです。

 

私のように、事業家としてすぐに再起しても良いでしょう。または、就職するのも良いでしょう。

 

いずれにしても、自己破産というのがどれほど影響するのか、説明させてもらいます。

 

はっきり言います。影響は・・・

 

ゼロ

 

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です。自分から開示しない限りは、金融機関以外、その情報を知りません。実名でSNSなどをしているようですと、事情を知っている方がやっかむかもしれませんが、基本的には誰も知りません。

 

ですので、再起にせよ、就職にせよ、自分の力次第、という事になります。

 

私の場合は、先の記事でも説明した通り、すぐに声がかかり、全く労せず乗り換えできました。でも、それは最初だけでした。

 

その後は新たな事業を作り出しては上手く行かず、黒字のうちに撤退を何度も行い、アルバイトや派遣社員などを行う時もありました。

 

最終的には自分で経営という結論があったため、スキルや情報を集めたい業界だけに潜入していましたので、有意義な時間だと自負しています。

しかし、回数を重ねれば重ねるほど履歴書は汚れて行きます。

 

海外では、様々な職種経験がある方が重宝されますが、日本は一本気に一つを追求する事に美学があります。

 

経営者という履歴は、一つあるだけで人事の心象には『能力はあるかもしれないが、使いにくそう』というのがよぎるそうです。結果、書類選考や面接での落選率は高くなるかもしれません。

 

年齢が高ければ高いほど、他業種への移動は困難です。私も様々な業界へチャレンジして来ましたが、年々、合格率が悪くなって行くのを体感しています。

 

現在、新たな事業を軌道に乗せるところですが、興味のある業界は見ておきたいと思い、様々な求人へ応募してみているのですが、合格がほぼ貰えなくなりました。

 

そのような現実はやって来ます。

 

年齢によりますが、参考程度にその後の戦略を下記に紹介したいと思います。

 

  • 20~29歳

 

就職も可能です。意欲を見せれば、長期的なキャリア形成を行える年齢ですから、採用もされるでしょう。

 

また、多少資金が用意できる、またはバイトで貯金するなどして、ワーホリを活用して海外へ出てみるのも手でしょう。日本では信用がありませんが、海外ならすぐにチャンスを掴めるかもしれません。

費用としては、渡航する国によりますが数十万を必要としますが、年齢的にはそれを支払って挑戦する価値はあると思います。

 

もちろん、まだまだ人脈やアイデアがあるのなら、即再起でも良いでしょう。

 

  • 30~39歳

 

就職は、難航を覚悟してください。経営歴が長ければ長いほど、難航すると思います。短くても心象は悪い物になるため、就活には大きなハンデを背負ったと思った方が良いでしょう。

 

しかし、高齢化によって、長期的なキャリア形成の対象にもなりつつある30代ですので、層の薄い企業に当たれば、即戦力としてデビューも可能でしょう。

 

特殊な国家資格等を有している事業を行っていた場合は別です。例としては、調理師やあんま鍼灸、宅建などは有利に働きます。経験も重宝されるでしょう。

 

この年代だと家庭を持っている場合が多いと思います。すぐにキャッシュが手に入る再起なら可能でしょうが、そうではない場合、家族の同意が得られない事かと思います。

アルバイトや派遣社員といった枠で潜入して、社員を狙う。又は、資金を溜めて再起を図る。どちらにせよ、難しい年代となっている事は自負した方が良いでしょう。

 

  • 40~49歳

 

就職はほぼ無理だと思ってください。この年代の経営者は、昭和体質を引きずっている方も多いため、企業人事からは嫌悪されがちです。また、低姿勢というのができない方も多いかと思います。

 

この辺りのネックを解消しない限り、就職によるキャリアアップは不可能です。

 

学歴や職歴の中に、有名な名前が入っていれば別だと思います。ただ、学歴で有名大学出というのは、扱いずらいという心象を与えますので、職歴の実績での有名なネームが入っている上で、その関係業界という形が無難でしょう。

 

他に、それまでに取引のあった企業への天下り的就職も手です。この年代で、しっかり経営をされて来た場合は、歓迎する企業もあるかと思います。声をかけてみましょう。

 

50~59歳

 

異業種への就職は、残念ながら年金暮らしのパートやシルバー人材枠程度の扱いとなると思われます。全く評価を得られない状態になるでしょう。

 

人不足が顕著な業界は体力勝負の業界が多いため、体力系の経歴でしたら、就業先は見つかるかもしれませんが、オフィス系は取引先のツテで紹介してもらわない限り、新規に就職は難しいと思います。

 

この年代でしたら、自己破産せずにズルズル引っ張るという手も有効ですので、安易に選ばない方が良いかもしれません。返って、苦労する可能性もあります。

 

60歳~

 

就職は、得意先やその紹介以外、不可能です。パート、アルバイト、シルバー人材派遣でも、なかなか難しいと思います。素直にツテを利用した方が良いでしょう。

 

50~59歳同様、自己破産せずにズルズル引っ張るという手も有効です。ただ、アイデアがないと起死回生はできないと思いますので、費用をかけずに売り上げる方法を生み出す必要があります。

 

再起の場合も同様です。まさにこれまでの経営がどうだったかという答え合わせのような状態になると思います。良い経営をしていたならば、手を差し伸べる人もいるでしょう。

逆に悪い、利己的な経営をしていたならば、自己破産しても結局、金苦労から抜けられないという答えが待っています。

 

年金や生活保護という最低限のセーフティネットはありますので、それを活用するのも一つの手でしょう。

 

※あくまで個人的な体感と見聞による見解ですので、これが答えではありません。

破産、倒産による変化について

ここでは、倒産自己破産によって変化する物について、紹介したいと思います。ここまで読んでいただいた方は、知識もお持ちだと思いますので、おさらいのつもりで読んでいただければと思います。

 

変化する物

 

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  • 心境

 

説明しなくても分かると思いますが、借金苦で追い詰まっていた心は法律という庇護の元、解放されます。これは、責任感が強ければ強いほど、解放感も高いと思ってください。

 

苦しんでいる時は、灰色に見えた世界に、色が戻ったような変化が起こります。自然と笑顔も出る事でしょう。

 

  • 地位や立場

 

倒産を経験する立場ですから、代表者としてそれなりに箔があった事と思います。地元では風を切って歩けた、などという方ほど、次の手がない場合、落差が大きくなります。

 

それまでのツテを使って、就業できた場合でも、助けてもらったという義理ができてしまい、それまでの立場ではいられないでしょう。

 

そんな時は、もっとポジティブに考えると良いと思います。今までは、『社長として、全責任を取らなければいけない立場』だったと思いますが、『何の責任もなく業務に全うできる』という楽な立場になったと捉えると気持ちが変わります。

 

しかし、それまで威張っていればいるほどギャップに悩まされるでしょう。また、力を貸してくれる人の数にも影響します。経営者たるもの、老若男女問わず、常にフラットな立場で人と接しておくのが吉です。

どこの誰がいつ儲け話を引っさげて来るか分かりません。決めつけや思い込みほど無用な物はありませんから、この際、捨ててしまいましょう。

 

  • 金融事情

 

所謂、ローンやクレジットカードのような、借入等の信用がマイナス状態になります。直食い(取引していて負債を免責)していない場合は、早期の取引も年収次第で可能だと思いますが、基本的にはキャッシュのみで戦う事になります。

 

不便に感じたのは、高速道路のETCです。キャッシュだと少し高く、ETCは作れない。これは本当に歯がゆかったです。

 

ネットなどの購入に関しては、カードが使えないのは不便に感じるかもしれません。当時はまだまだ普及していませんでしたが、通帳残高をそのまま引き落とすクレジットカードのDebit Cardがオススメです。

信用のあるなしに関係なく、口座さえ作って、現金を入れておけば使えます。

 

その他は、収入さえあればキャッシュで何とでもなりますので、特に不便を感じなかったです。

 

変化しない物

 

  • 税金

 

これは私も見落としていて、苦労したのですが、税金は自己破産で免責にはなりません。法人税は、倒産と共に消滅しますので安心してください。

 

こちらは、あまりに落差のある収入の中で事情を説明して免除してもらえる可能性もあります。実際、私も引っ越した先の自治体の地方税は、これを理由に免除してもらいました。

 

しかし、それまで稼いでいた時に住んでいた地域は逆で、払え払えと煽りが凄かったです。自治体によって、税収差がありますから、余裕のある地域は免除率が高く、低い地域は免除されないのだと思います。

 

自分の住んでいる自治体の財政状態をチェックしておくのも良いでしょう。

 

  • 自分の性格とスキル

 

人は簡単には変われません。また、変わろうとしないと変わらない物です。せっかくリスタートしたところで、同じミスを繰り返しては元も子もありません。

 

自己破産で自分の性格や持っているスキルが変わる事はありません。次のチャンスに備えて、変える努力は必要です。

 

  • 世界

 

ここが非常に大切です。私やこれをご覧になっている方が倒産自己破産しようと、世界は何一つ変わりません。自分にとっては大事かもしれませんが、世界にとっては取るに足らない些事なのです。

 

苦しんで苦しんでやっと抜けたところで、劇的に世界が手を差し伸べてくれる訳ではありません。あくまで、ミクロな変化でしかないのです。

 

それが腑に落ちれば、命を懸けたり、他人を脅かしてまで借金苦の中を足掻く事がどれほど滑稽なのかが分かると思います。

なぜ、このブログを立ち上げたか

理由は、大きく分けて三つです。

 

  • 失敗=終わりという日本の体裁意識を少しでも変えたい
  • 現在、借金苦などに悩み、自殺や犯罪を考えている方への抑止に繋げたい
  • 人生はもっと楽しめるんだという発信をしたい

 

以上が大きなテーマですが、直近ですと私の知人から相談されたケースを機に、もっと早く助言できていたならばという想いが沸きました。

 

知人Tくんの借金苦

 

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では、仮名としてTくん。彼の話をさせてもらいます。

 

三年ほど前、行政のバックアップを元に起業した、まだ三十路前の若い青年です。

 

私から見れば、とても採算の取れる事業だとは思えない案件でしたが、予算の付いているカテゴリーという事で、行政は彼を後押ししました。結果、彼は家族と共に、そのビジネスで発起する意思を固めたそうです。

 

そして、全国水準でのマーケティングリサーチを元に弾き出された、現実的だろうという数字で作られた事業計画書は、行政を納得させました。その結果、国金(国民政策金融公庫)の融資が付きました。

 

しかし、計画は初年目で破綻していました。それもそのはずでした。提出された数字は、全国での平均点から算出された物であって、彼らのいる地域は、そのカテゴリーでは、ワースト3に入る、全く違うマーケットでの試算だったからです。

 

彼がそう気付いた時には、すでに時は遅く、親族から借金をして回す自転車操業となっていました。そして、行政はもちろん、関係各所は、数字が出せない彼を責めていたそうです。

 

さらに借金苦から、家族間での事業に対する意識の温度差が生じ始めたそうです。

 

2年目を超えた彼は、その数字の低さを確認して諦めたそうです。そして、彼は彼なりに習得した知識を元に、自己破産を検討し、家族と相談を始めました。しかし、連帯保証している両親はもちろん反対、奥さんも彼に同意しなかったそうです。

 

大喧嘩の末、彼が折れました。自己破産を諦めたのです。しかし、すでに二十代末期、年齢も年齢です。事業のために、その業界へ割いた時間は返って来ません。

それは、社会人としての経験が乏しく映しました。また、独立開業して間もない撤退という悪印は、就職活動を難航させました。

外部へ稼ぎに出る事も叶わず、自身の事業の立て直しもままならないまま・・・

 

結局、借金の支払いは滞り始めてしまいました。それにより、行政、銀行から圧力は膨らみ、掛けによる仕入枠もどんどん縮小しています。結果、仕入もまともにできず、さらに数字は悪化の糸を辿ってしまっていました。

 

彼は言いました。

 

「こうなるのが見えていたから、1年前に(自己破産を)したかった。していれば、今頃は住む場所を変え、業界も変えて、仕事を探す事もできていたんです・・・」

 

彼と知り合って、まだ半年ほどと間もありません。しかし、共に仕事をしたり、話をした感じでは、生真面目で良い青年です。潰れてしまうのは惜しい人材です。

 

日本社会には、未来を見据えて、失敗を恐れない体制はありません。失敗は、挑戦するから起こります。挑戦してはいけないという体制です。

 

更に、他人の未来を素直に評価できる体制がありません。若者を応援するという体裁はありますが、実際はそれに対してアクティブではありません。

 

結果、失敗者、負け組、そのようなレッテルを貼られてしまい、挑戦者たちは再挑戦を阻まれて、苦しんでいます。Tくんも同様です。

 

もし、もっと早く出会っていたなら、事業立て直しの方向でも、自己破産の方向でも力になれたでしょう。しかし、残念ながら彼の周りには、こういった知識を豊富に持つ人間がいなかったのです。

 

今も彼は、自己破産もできず、ひたすら借金苦の中を、空元気で迷走しています。やっと見つけた安月給で、とても借金返済が早まるとは思えない労働を繰り返しています。

 

もっと早く彼と出会っていたら。この相談を聞けていたならば。仮説の世界ですが、全く違う結末を作れたと思いました。後悔、とまでは言いませんが、有能であろう若者を、確実に救える自信のあるタイミングでない事を嘆きました。

 

そう言った経緯もあり、今回はブログという形になりますが、こうして筆を執らせてもらった次第です。彼と同じように、悩み、苦しんでる方が他にもいるのなら、少しでも手助けをできない物かと、彼の表情や言葉から思いました。

 

自己破産に対する正確な認識

 

自己破産というのは、法律上で利用する事を許されたシステムです。濫用は勧めたくはありませんが、本当に借金苦で家庭の危機や、命を捨てるような結末を招くのであれば、私はこの手段を使うべきだと思っています。

 

日本では、自己破産=人生の敗北のように思われていますが、そんな事はありません。

返せない借金苦を引きずり続けて、いつまで経っても立て直せない生活を送り続ける方が人生の敗北ではないかと、私は思います。

 

また、借金苦により、人を騙したり、犯罪に手を染めるなどの、全く関係のない第三者が被害に遭うという二次災害が起こる点を踏まえても、この手段は人生にとって、とても『有効的な手段』だと考えております。

 

ただ、『有効的な手段』であるという認識だけでは、使いどころを誤ってしまう可能性があります。

そうならないためにも、まずは正確な知識を付ける共に、利用する事によって解消される問題を洗い、それに加えてその後変化する生活について、このブログで紹介できればと思います。

 

私は二十代半ば、事業の失敗により自己破産しました。それまでは、成功続きで派手な人生に酔っていました。

 

そのプライドはこの失敗を悔い、その屈辱から逃げるために、自殺も考えました。高速道路で走行中、アクセルを踏み続けて、目を閉じて死のうともしました。

 

そんな精神状態の中、半ば知識の中の投げやりな選択として自己破産を選びました。今の私なら、まだまだ手はあったと言える状態でしたが、当時の私は若く、知識も足りませんでした。

 

しかし、あのまま、自己破産せずにいたら、もしかしたら私は自殺をしていたかもしれません。結果としては、正解だったのではないだろうかと、思うようにしています。

 

そして、私の『もしかしたら』が、『誰かの今』なのかもしれない、そう思っています。私も散々苦しみました。家族も巻き込みました。

早くに起業したため、社会経験が乏しく映り、更に経営者をしていたため、使いにくそうという印象から就職活動は難航しました。

だからこそ、同じような状況の方の力になりたい、そう思います。

 

ですから、このブログをきっかけに、自分の置かれている状態の正確な把握を行ってもらい、幸せな明日を作るため、ご覧いただきました方の人生という戦場を渡るための『戦術の一つ』として加えてもらえたなら、と願います。

 

但し、悪用は厳禁です。と言ってもこの手段、たぶん一生で一回しか使えないと思います。そのため、濫用や悪用してしまうと、その後に訪れるかもしれない『本物のいざという時』に、使えなくなります。

 

例外はあります。

 

被災など、第三者から見ても同情の余地のある債務に限り、二度目の利用の可能性は残ります。しかし、事業失敗などの個人的理由による二度目は、最初の利用に比べると、ハードルが劇的に上昇します。

 

よって、『二度目はない』と思ってもらった方が良いでしょう。

 

一度だけ使える禁じ手、自己破産。使いどころ次第では、人生を大きくプラスにも、逆に大きくマイナスにも振る事でしょう。

 

大きくプラスに転じる最高の一手にするために、私の情報が少しでも役に立てばと思います。

倒産後の生活

倒産や自己破産をするところまでは、誰もが想像が付くと思います。しかし、肝心なのは、その後の生活なのです。

 

せっかく立て直すために免責してもらっても、その後の生活が成り立たなければ本末転倒です。

 

この記事では、私の場合のその後の生活について、紹介したいと思います。

 

引越と新しい暮らし

 

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私の場合は、せっかくマイホームという足枷がなくなったのだから、もっと違う場所に行こうという結論になりました。

破産直後に、それまでの実績などから、数社声がかかり、営業代行、経営コンサルタントとしての業務委託を受け、拠点を移した方が都合が良い事も重なりました。

 

子供もいたため、学校の転校手続きや幼稚園の転園手続きなど、手はかかりましたが、私が破産した事を誰も知らない街で新スタートという形は、気持ちの良いスタートとなりました。

 

私は何事もポジティブな視点で捉えるように生きています。これはご覧の方にも推奨したいです。せっかくの機会、と捉えれば、こういった生活の大幅な変化を生み出す事もできます。

 

個人事業主として年収は代表取締役時代よりUP

 

これも不思議に思っていたのですが、破産する前、あれほど金苦労で悩んでいたのに、破産した途端、たくさんの声がかかり、気付けば収入は破産前の倍になっていました。

借金は一切ない上、余計な物は全て処分してしまったため、生活は快適でした。家族からも不満もなく、一家団欒に過ごせました。

 

少しオカルトな概念になりますが、負のスパイラルに乗ってしまった際は、それを断ち切らない限りは正のスパイラルに乗る事ができないのだと思っています。

その切り替えのポイントになり得る物が一つが、とことんまで追い詰まった後の自己破産なのでしょう。

 

運という概念は、バネのように溜めれば溜めるほど跳ね返るのだと思います。事実、私の人生を振り返ってみても、そのように感じます。バネを強く、しなやかにするコツは、普段から規則正しく、良い習慣、生活を心がける事でしょう。

 

ここが人生のゴールではない

 

リセットされたからと言って、ゴールに辿り着く訳ではありません。順調に見えた私の生活も、陰りが見え始め、3.11を迎えました。関東に住んでいた私たち家族も、ガソリン不足や停電などの被災に悩まされました。

 

負け組や勝ち組などとグループ分けしたがるのが日本人ですが、実際、死ぬまで答えは出ません。昨日まで貧乏で、世間から負け組扱いだった人が、SNSや動画サイトを通じて一躍スターになる、なんて事もあり得る時代です。

 

自己破産は、一生で一回使える禁じ手ではありますが、使った後も死ぬまで人生は続きます。

 

重要なのは倒産、自己破産から何を学んだか

 

私がよく、知人にこういう話をする際に、大切にしているのは、その結果、何を学んだのか、という事です。

 

私の場合は、貿易によるデッドストック、店舗展開の強行という2点で足を引っ張られました。そこから、在庫を持たないビジネス、店舗を必要としないビジネスという2つの答えを導きました。

 

営業代行や経営コンサルタントの傍ら、当時はまだまだ流行っていたWebデザインなどを独学で学び、営業に飛び回り、仕事を獲得したりと、自分なりの答えを元に、事業デザインをしていきました。

 

結果、破産後5年でローンは組めるようになり、クレジットカードを持て、年収も最大時は2千万まで膨らみました。しかし、この原点には、自己破産によって得た体験、危機管理能力、そこから生まれる発想という物があります。

 

今思えば、今の自分ならまだ巻き返せたと思えるところで自己破産してしまいましたが、当時の自分にとってはあそこが限界だったのでしょう。

 

これから先の人生では、この手段を使う事はできないと思いますが、頼らないで済む体制作りもしっかりできているため、良い経験だったと今は思っています。

 

これから、自己破産を検討する方も、できれば自分の血として骨として、未来の自分の力に変換できるように、学んでもらえたらと思います。

私という人物

プロフィール

高校卒業後、地方の総合食品商社へ勤め、三年でトップセールスまで上り詰めました。

47都道府県での得意先に加え、中国、韓国との貿易を行っていた同社のノウハウを軸に、集まった情報や人脈から、調子に乗っていた私は、とある赤字法人を格安でM&Aして手に入れ、株式会社の代表取締役となりました。

 

日用雑貨から食品まで、さまざまな商材を全国各地へ仲卸する他に、飲食店を三店舗を展開。従業員数40名、年商4億という実績と飲食店オープン時に終日二時間待ちという盛況を呼び、経済新聞にも取材を受けました。

 

そんな中、韓国との貿易商材でトラブルが発生。提携企業の裏切りともいえる行為により、国際裁判手前の事態に陥りました。

この事件は、銀行のバックアップにより、窮地を免れたが、その後、まるで罰を与えられているかのように、次々と不幸の連続しました。

 

従業員関係者の自殺、新商品開発に着手するもパッケージ完成直後、メーカー倒産・・・

 

資金ショートを起こし始めると銀行は掌を返したように撤退を始めました。すでに総額1億弱という負債を背負った中、売上がゼロになってしまいました。

 

若かった私は、その時にはすでに心が折れており、未来の再起を誓い、自己破産の手続きを始めました。

 

無事、免責となった後、様々な事に挑戦し、今もなお、成功と失敗を繰り返して生きているチャレンジャーです。