倒産や自己破産をするところまでは、誰もが想像が付くと思います。しかし、肝心なのは、その後の生活なのです。
せっかく立て直すために免責してもらっても、その後の生活が成り立たなければ本末転倒です。
この記事では、私の場合のその後の生活について、紹介したいと思います。
引越と新しい暮らし
私の場合は、せっかくマイホームという足枷がなくなったのだから、もっと違う場所に行こうという結論になりました。
破産直後に、それまでの実績などから、数社声がかかり、営業代行、経営コンサルタントとしての業務委託を受け、拠点を移した方が都合が良い事も重なりました。
子供もいたため、学校の転校手続きや幼稚園の転園手続きなど、手はかかりましたが、私が破産した事を誰も知らない街で新スタートという形は、気持ちの良いスタートとなりました。
私は何事もポジティブな視点で捉えるように生きています。これはご覧の方にも推奨したいです。せっかくの機会、と捉えれば、こういった生活の大幅な変化を生み出す事もできます。
個人事業主として年収は代表取締役時代よりUP
これも不思議に思っていたのですが、破産する前、あれほど金苦労で悩んでいたのに、破産した途端、たくさんの声がかかり、気付けば収入は破産前の倍になっていました。
借金は一切ない上、余計な物は全て処分してしまったため、生活は快適でした。家族からも不満もなく、一家団欒に過ごせました。
少しオカルトな概念になりますが、負のスパイラルに乗ってしまった際は、それを断ち切らない限りは正のスパイラルに乗る事ができないのだと思っています。
その切り替えのポイントになり得る物が一つが、とことんまで追い詰まった後の自己破産なのでしょう。
運という概念は、バネのように溜めれば溜めるほど跳ね返るのだと思います。事実、私の人生を振り返ってみても、そのように感じます。バネを強く、しなやかにするコツは、普段から規則正しく、良い習慣、生活を心がける事でしょう。
ここが人生のゴールではない
リセットされたからと言って、ゴールに辿り着く訳ではありません。順調に見えた私の生活も、陰りが見え始め、3.11を迎えました。関東に住んでいた私たち家族も、ガソリン不足や停電などの被災に悩まされました。
負け組や勝ち組などとグループ分けしたがるのが日本人ですが、実際、死ぬまで答えは出ません。昨日まで貧乏で、世間から負け組扱いだった人が、SNSや動画サイトを通じて一躍スターになる、なんて事もあり得る時代です。
自己破産は、一生で一回使える禁じ手ではありますが、使った後も死ぬまで人生は続きます。
重要なのは倒産、自己破産から何を学んだか
私がよく、知人にこういう話をする際に、大切にしているのは、その結果、何を学んだのか、という事です。
私の場合は、貿易によるデッドストック、店舗展開の強行という2点で足を引っ張られました。そこから、在庫を持たないビジネス、店舗を必要としないビジネスという2つの答えを導きました。
営業代行や経営コンサルタントの傍ら、当時はまだまだ流行っていたWebデザインなどを独学で学び、営業に飛び回り、仕事を獲得したりと、自分なりの答えを元に、事業デザインをしていきました。
結果、破産後5年でローンは組めるようになり、クレジットカードを持て、年収も最大時は2千万まで膨らみました。しかし、この原点には、自己破産によって得た体験、危機管理能力、そこから生まれる発想という物があります。
今思えば、今の自分ならまだ巻き返せたと思えるところで自己破産してしまいましたが、当時の自分にとってはあそこが限界だったのでしょう。
これから先の人生では、この手段を使う事はできないと思いますが、頼らないで済む体制作りもしっかりできているため、良い経験だったと今は思っています。
これから、自己破産を検討する方も、できれば自分の血として骨として、未来の自分の力に変換できるように、学んでもらえたらと思います。