なぜ、このブログを立ち上げたか

理由は、大きく分けて三つです。

 

  • 失敗=終わりという日本の体裁意識を少しでも変えたい
  • 現在、借金苦などに悩み、自殺や犯罪を考えている方への抑止に繋げたい
  • 人生はもっと楽しめるんだという発信をしたい

 

以上が大きなテーマですが、直近ですと私の知人から相談されたケースを機に、もっと早く助言できていたならばという想いが沸きました。

 

知人Tくんの借金苦

 

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では、仮名としてTくん。彼の話をさせてもらいます。

 

三年ほど前、行政のバックアップを元に起業した、まだ三十路前の若い青年です。

 

私から見れば、とても採算の取れる事業だとは思えない案件でしたが、予算の付いているカテゴリーという事で、行政は彼を後押ししました。結果、彼は家族と共に、そのビジネスで発起する意思を固めたそうです。

 

そして、全国水準でのマーケティングリサーチを元に弾き出された、現実的だろうという数字で作られた事業計画書は、行政を納得させました。その結果、国金(国民政策金融公庫)の融資が付きました。

 

しかし、計画は初年目で破綻していました。それもそのはずでした。提出された数字は、全国での平均点から算出された物であって、彼らのいる地域は、そのカテゴリーでは、ワースト3に入る、全く違うマーケットでの試算だったからです。

 

彼がそう気付いた時には、すでに時は遅く、親族から借金をして回す自転車操業となっていました。そして、行政はもちろん、関係各所は、数字が出せない彼を責めていたそうです。

 

さらに借金苦から、家族間での事業に対する意識の温度差が生じ始めたそうです。

 

2年目を超えた彼は、その数字の低さを確認して諦めたそうです。そして、彼は彼なりに習得した知識を元に、自己破産を検討し、家族と相談を始めました。しかし、連帯保証している両親はもちろん反対、奥さんも彼に同意しなかったそうです。

 

大喧嘩の末、彼が折れました。自己破産を諦めたのです。しかし、すでに二十代末期、年齢も年齢です。事業のために、その業界へ割いた時間は返って来ません。

それは、社会人としての経験が乏しく映しました。また、独立開業して間もない撤退という悪印は、就職活動を難航させました。

外部へ稼ぎに出る事も叶わず、自身の事業の立て直しもままならないまま・・・

 

結局、借金の支払いは滞り始めてしまいました。それにより、行政、銀行から圧力は膨らみ、掛けによる仕入枠もどんどん縮小しています。結果、仕入もまともにできず、さらに数字は悪化の糸を辿ってしまっていました。

 

彼は言いました。

 

「こうなるのが見えていたから、1年前に(自己破産を)したかった。していれば、今頃は住む場所を変え、業界も変えて、仕事を探す事もできていたんです・・・」

 

彼と知り合って、まだ半年ほどと間もありません。しかし、共に仕事をしたり、話をした感じでは、生真面目で良い青年です。潰れてしまうのは惜しい人材です。

 

日本社会には、未来を見据えて、失敗を恐れない体制はありません。失敗は、挑戦するから起こります。挑戦してはいけないという体制です。

 

更に、他人の未来を素直に評価できる体制がありません。若者を応援するという体裁はありますが、実際はそれに対してアクティブではありません。

 

結果、失敗者、負け組、そのようなレッテルを貼られてしまい、挑戦者たちは再挑戦を阻まれて、苦しんでいます。Tくんも同様です。

 

もし、もっと早く出会っていたなら、事業立て直しの方向でも、自己破産の方向でも力になれたでしょう。しかし、残念ながら彼の周りには、こういった知識を豊富に持つ人間がいなかったのです。

 

今も彼は、自己破産もできず、ひたすら借金苦の中を、空元気で迷走しています。やっと見つけた安月給で、とても借金返済が早まるとは思えない労働を繰り返しています。

 

もっと早く彼と出会っていたら。この相談を聞けていたならば。仮説の世界ですが、全く違う結末を作れたと思いました。後悔、とまでは言いませんが、有能であろう若者を、確実に救える自信のあるタイミングでない事を嘆きました。

 

そう言った経緯もあり、今回はブログという形になりますが、こうして筆を執らせてもらった次第です。彼と同じように、悩み、苦しんでる方が他にもいるのなら、少しでも手助けをできない物かと、彼の表情や言葉から思いました。

 

自己破産に対する正確な認識

 

自己破産というのは、法律上で利用する事を許されたシステムです。濫用は勧めたくはありませんが、本当に借金苦で家庭の危機や、命を捨てるような結末を招くのであれば、私はこの手段を使うべきだと思っています。

 

日本では、自己破産=人生の敗北のように思われていますが、そんな事はありません。

返せない借金苦を引きずり続けて、いつまで経っても立て直せない生活を送り続ける方が人生の敗北ではないかと、私は思います。

 

また、借金苦により、人を騙したり、犯罪に手を染めるなどの、全く関係のない第三者が被害に遭うという二次災害が起こる点を踏まえても、この手段は人生にとって、とても『有効的な手段』だと考えております。

 

ただ、『有効的な手段』であるという認識だけでは、使いどころを誤ってしまう可能性があります。

そうならないためにも、まずは正確な知識を付ける共に、利用する事によって解消される問題を洗い、それに加えてその後変化する生活について、このブログで紹介できればと思います。

 

私は二十代半ば、事業の失敗により自己破産しました。それまでは、成功続きで派手な人生に酔っていました。

 

そのプライドはこの失敗を悔い、その屈辱から逃げるために、自殺も考えました。高速道路で走行中、アクセルを踏み続けて、目を閉じて死のうともしました。

 

そんな精神状態の中、半ば知識の中の投げやりな選択として自己破産を選びました。今の私なら、まだまだ手はあったと言える状態でしたが、当時の私は若く、知識も足りませんでした。

 

しかし、あのまま、自己破産せずにいたら、もしかしたら私は自殺をしていたかもしれません。結果としては、正解だったのではないだろうかと、思うようにしています。

 

そして、私の『もしかしたら』が、『誰かの今』なのかもしれない、そう思っています。私も散々苦しみました。家族も巻き込みました。

早くに起業したため、社会経験が乏しく映り、更に経営者をしていたため、使いにくそうという印象から就職活動は難航しました。

だからこそ、同じような状況の方の力になりたい、そう思います。

 

ですから、このブログをきっかけに、自分の置かれている状態の正確な把握を行ってもらい、幸せな明日を作るため、ご覧いただきました方の人生という戦場を渡るための『戦術の一つ』として加えてもらえたなら、と願います。

 

但し、悪用は厳禁です。と言ってもこの手段、たぶん一生で一回しか使えないと思います。そのため、濫用や悪用してしまうと、その後に訪れるかもしれない『本物のいざという時』に、使えなくなります。

 

例外はあります。

 

被災など、第三者から見ても同情の余地のある債務に限り、二度目の利用の可能性は残ります。しかし、事業失敗などの個人的理由による二度目は、最初の利用に比べると、ハードルが劇的に上昇します。

 

よって、『二度目はない』と思ってもらった方が良いでしょう。

 

一度だけ使える禁じ手、自己破産。使いどころ次第では、人生を大きくプラスにも、逆に大きくマイナスにも振る事でしょう。

 

大きくプラスに転じる最高の一手にするために、私の情報が少しでも役に立てばと思います。

倒産後の生活

倒産や自己破産をするところまでは、誰もが想像が付くと思います。しかし、肝心なのは、その後の生活なのです。

 

せっかく立て直すために免責してもらっても、その後の生活が成り立たなければ本末転倒です。

 

この記事では、私の場合のその後の生活について、紹介したいと思います。

 

引越と新しい暮らし

 

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私の場合は、せっかくマイホームという足枷がなくなったのだから、もっと違う場所に行こうという結論になりました。

破産直後に、それまでの実績などから、数社声がかかり、営業代行、経営コンサルタントとしての業務委託を受け、拠点を移した方が都合が良い事も重なりました。

 

子供もいたため、学校の転校手続きや幼稚園の転園手続きなど、手はかかりましたが、私が破産した事を誰も知らない街で新スタートという形は、気持ちの良いスタートとなりました。

 

私は何事もポジティブな視点で捉えるように生きています。これはご覧の方にも推奨したいです。せっかくの機会、と捉えれば、こういった生活の大幅な変化を生み出す事もできます。

 

個人事業主として年収は代表取締役時代よりUP

 

これも不思議に思っていたのですが、破産する前、あれほど金苦労で悩んでいたのに、破産した途端、たくさんの声がかかり、気付けば収入は破産前の倍になっていました。

借金は一切ない上、余計な物は全て処分してしまったため、生活は快適でした。家族からも不満もなく、一家団欒に過ごせました。

 

少しオカルトな概念になりますが、負のスパイラルに乗ってしまった際は、それを断ち切らない限りは正のスパイラルに乗る事ができないのだと思っています。

その切り替えのポイントになり得る物が一つが、とことんまで追い詰まった後の自己破産なのでしょう。

 

運という概念は、バネのように溜めれば溜めるほど跳ね返るのだと思います。事実、私の人生を振り返ってみても、そのように感じます。バネを強く、しなやかにするコツは、普段から規則正しく、良い習慣、生活を心がける事でしょう。

 

ここが人生のゴールではない

 

リセットされたからと言って、ゴールに辿り着く訳ではありません。順調に見えた私の生活も、陰りが見え始め、3.11を迎えました。関東に住んでいた私たち家族も、ガソリン不足や停電などの被災に悩まされました。

 

負け組や勝ち組などとグループ分けしたがるのが日本人ですが、実際、死ぬまで答えは出ません。昨日まで貧乏で、世間から負け組扱いだった人が、SNSや動画サイトを通じて一躍スターになる、なんて事もあり得る時代です。

 

自己破産は、一生で一回使える禁じ手ではありますが、使った後も死ぬまで人生は続きます。

 

重要なのは倒産、自己破産から何を学んだか

 

私がよく、知人にこういう話をする際に、大切にしているのは、その結果、何を学んだのか、という事です。

 

私の場合は、貿易によるデッドストック、店舗展開の強行という2点で足を引っ張られました。そこから、在庫を持たないビジネス、店舗を必要としないビジネスという2つの答えを導きました。

 

営業代行や経営コンサルタントの傍ら、当時はまだまだ流行っていたWebデザインなどを独学で学び、営業に飛び回り、仕事を獲得したりと、自分なりの答えを元に、事業デザインをしていきました。

 

結果、破産後5年でローンは組めるようになり、クレジットカードを持て、年収も最大時は2千万まで膨らみました。しかし、この原点には、自己破産によって得た体験、危機管理能力、そこから生まれる発想という物があります。

 

今思えば、今の自分ならまだ巻き返せたと思えるところで自己破産してしまいましたが、当時の自分にとってはあそこが限界だったのでしょう。

 

これから先の人生では、この手段を使う事はできないと思いますが、頼らないで済む体制作りもしっかりできているため、良い経験だったと今は思っています。

 

これから、自己破産を検討する方も、できれば自分の血として骨として、未来の自分の力に変換できるように、学んでもらえたらと思います。

私という人物

プロフィール

高校卒業後、地方の総合食品商社へ勤め、三年でトップセールスまで上り詰めました。

47都道府県での得意先に加え、中国、韓国との貿易を行っていた同社のノウハウを軸に、集まった情報や人脈から、調子に乗っていた私は、とある赤字法人を格安でM&Aして手に入れ、株式会社の代表取締役となりました。

 

日用雑貨から食品まで、さまざまな商材を全国各地へ仲卸する他に、飲食店を三店舗を展開。従業員数40名、年商4億という実績と飲食店オープン時に終日二時間待ちという盛況を呼び、経済新聞にも取材を受けました。

 

そんな中、韓国との貿易商材でトラブルが発生。提携企業の裏切りともいえる行為により、国際裁判手前の事態に陥りました。

この事件は、銀行のバックアップにより、窮地を免れたが、その後、まるで罰を与えられているかのように、次々と不幸の連続しました。

 

従業員関係者の自殺、新商品開発に着手するもパッケージ完成直後、メーカー倒産・・・

 

資金ショートを起こし始めると銀行は掌を返したように撤退を始めました。すでに総額1億弱という負債を背負った中、売上がゼロになってしまいました。

 

若かった私は、その時にはすでに心が折れており、未来の再起を誓い、自己破産の手続きを始めました。

 

無事、免責となった後、様々な事に挑戦し、今もなお、成功と失敗を繰り返して生きているチャレンジャーです。