人と会うことの難しさ

毎日、コロナウイルス感染者のニュースは途切れることなく続いています。この調子で、今後の生活にもコロナウイルスは切り離せないものになっていくのでしょうか。

 

流行当初から少しずつ言われ始めた「人との接触を避ける」ことは、近年当たり前のように実施されるようになりました。

 

3年目に突入する昨今では、少しずつ緩和されつつありますが……。それでも、大人数での会食などは、良い顔をされません。

 

なぜ大人数で会ったり、県を跨いで会うことが近年犯罪を犯すかのごとく指摘され、注意されているのでしょうか。

 

 

人と会えない現状

少しずつ規制が緩和され始めた事もあり、3年目に突入した最近では、コロナ禍でも人と会うことが少しずつ再開されはじめました。

 

経済が回りはじめ、コロナ禍とはいえ、以前のような生活が取り戻りつつあるようです。

 

以前ブログでもご紹介したように、コロナと付き合っていくために必要な事は「割り切る事」だと私はずっと考えています。

 

インフルエンザと同等の扱いまで下げ、致死のリスクを下げる努力をしていければ、人々は日常を取り戻せるのではないでしょうか。

 

感染者が拡大されていくと、現在ではいまだに時短、自粛が囁かれるようになります。

 

その結果、経済的な救済はないにもかかわらず人々は負担を強いられ、最悪の場合破産のリスクを背負ってしまうでしょう。

 

私も、コロナ禍で仕事がなくなり破産した経験を持っています。

 

誰のせいでもない、誰も責められないコロナという新種のウイルスのせいで、つらい日々は続きました。

 

しかしその場合は、早く手を打っておくことで想像以上に苦しむことはありませんでした。

 

人と少しずつ会えるようになってきた現状、まだまだ経済状況は良いと言えません。

 

この瞬間にも、失業者は発生し、破産の一途をたどる人は後を絶たないでしょう。

 

それだけでなく、人に会いに県を跨いだ結果コロナに感染し、それが理由で失業する可能性は、3年経った現在でもあり得ることです。

 

油断した結果失業をし、家族が路頭に迷うことがあったら……

 

そのまま破産せざるを得ない状況になる可能性もあるのではないでしょうか。


規制が緩和しているからといって、警戒心をなくすことは危険です。人と会うということは、昨今とても難しいことになりました。

 

軽率な行動を起こすことで、自分だけでなく会いに行った人に迷惑をかけたり、あるいは自分の家族や職場の人に迷惑をかける可能性もあります。

 

少し規模の大きな話になってしまいましたが、読んで頂いた方には、人に会いに行くことのリスクや様々な可能性についても、深く考えてみる事をおすすめします。

うつ病の傾向と破産

破産経験をブログで書いてきましたが、今回はうつ病について語ろうと思います。

 

うつ病は、最近までは「甘え」とも言われることがあり、世間的にうつ病と言う病気が認められるまでには長い年月を必要としました。

 

近年、芸能人をはじめ数多くの人がうつ病を告白し、治療をする姿がメディアなどでも多くみられます。

また、近年コロナ禍をはじめ、生活苦が続く現代では、うつ病によって破産を迎え、任意整理などの破産手続きをする方が多いと言われています。

 

 

現代のうつ病と破産

現代には、多くのストレスが隠れています。

 

私は、うつ病にかかる人は、心が弱いわけでは決してないと思っています。

 

心が疲れてしまう位頑張りすぎた人だと思っていて、その結果、うつ病と言う病名が付けられるのです。

 

うつ病を発症すると、仕事はおろか日常生活もおろそかになっていきます。

そんな中、生活する能力が著しく失われるほどの症状を発症した場合、生活が苦しくなったと言う理由で自己破産をする場合があるでしょう。

 

うつ病が理由で、支払い不能と認められた場合、破産手続きを取ることが可能です。

しかし、うつ病になったから自己破産をするという考えは少々気が逸り過ぎかと思います。

 

仕事が出来なくなり、借金や日常生活が苦しいとなった場合は、生活を見直し、経済の管理をし直すためにも破産手続きを検討するのは一つの方法です。

 

しかしその場合は、まずは任意整理などの債務整理から検討してみましょう。

 

仕事を休んでいても、手続きをする目られる場合があります。

 

破産手続きは、簡単なものではありません。

 

うつ病を発症している場合は特に、書類の提出等難しい手続きもあるので、やる気になれなかったり、どうしてもできないこともあるかと思います。

 

私は、破産手続きの際うつ病ではありませんでしたが、手続きが億劫になったり辛いこともありました。

 

健康な人間でさえそう思うのですから、破産というのは大きなストレスになることがあるでしょう。

 

すぐ「自己破産だ」とならず、また、自己破産に対して過剰な負の感情を持たないようにすることはとても大切です。

 

また、何より大切なのは、うつ病になって働けなくなったからといって、安易に借金に手を出さないと言うことです。

 

近年、スマホで完結できるキャッシングも増えており、家にいながら手軽にお金を借りられる環境は増えています。うつ病になった時、何より怖いのが働けなくなってお金が無くなる事でしょう。

 

そうなった場合、職場に在籍さえしていれば手軽に借りられるキャッシングは魅力的に映るはずです。しかしその行為は、破産への第一歩となってしまうでしょう。

 

悪循環を防ぐためにも、うつ病になったら周りの人を頼るなど、借金をしないで済む方法を模索するのがおすすめです。また、万が一支払いが苦しくなった場合は、早めの破産や任意整理の手続きを進めるのが良いかもしれません。

仕事のストレスと破産

日に日に気温が上がり、過ごしやすい季節がやってきました。
夏が近づいていますね。いかがお過ごしでしょうか。

 

さて今回は、仕事のストレスと破産の関係性についてみて行こうと思います。コロナ禍が続く中で、不景気は続きます。

 

値上げ交渉やそれに伴う様々な問題の増加によって、仕事上で多くのストレスが発生しているのではないでしょうか。

 

仕事でストレスを多く抱えることで何故破産に繋がるのか……。今回はその関係性についてみていきましょう。

 

 

悪循環のはじまり

コロナ禍で失業をする人が増えただけでなく、薄給にもかかわらず物価は高騰……、物価が高騰することによって日々様々な仕事にも影響が出ています。

 

これにより、ストレスを抱える人が増加したと言われています。

 

さて。皆さんは仕事でストレスを抱えていたらどうするでしょうか。

 

薄給の中頑張って仕事をしているのに、うまくいかない。物価は給料に反してどんどん上がっていくからストレスが増加するし……欲しいものがまともに変えない窮屈な生活になっていきます。

 

かくいう私も、仕事のストレスが増えた時は相当苦しい思いをしました。その結果、借入を増やし、その場しのぎでも生活を豊かにしようとしたんです。

 

借り入れ額を増やすと、月々の返済の額も大きくなっていきます。

 

しかし、一度借りて潤沢な資金を得てしまうと、中々そのループから抜け出せない……。その結果、借金が膨らみ、破産してしまいました。

 

借金が発生するのは、ギャンブルだけではありません。仕事でストレスを抱えていた場合にも、生活のためや、ストレス発散のための買い物などの用途で借りてしまうことも多くあります。

 

結果、さらにストレスは発生し、破産する……と言う悪循環が発生するのです。

 

こうなる前に……

 

まず、仕事でストレスを多く感じるようになった場合は、一度職場に相談するか、無理のない生活を続けていくために転職を視野に入れて生活の改善を行いましょう。

 

また、ストレスによる散財が増え、借金が増えてきた場合は、一人で抱え込まず、まずは身近な家族などに相談して、改善の道を模索するのがおすすめです。

 

破産は外聞が良くないと言いますが、人をだましてお金を取ったり、最悪の場合自殺を選ぶなどよりまマシだと思っています。

 

仕事でのストレスはつきものですが、ずっと付き合わなければならないという強制的なものでもないはずです。

 

最悪の事態を避けるためにも、まずは改善策を講じたり、あらかじめ「こうなったら」と言う想定をしてみてはいかがでしょうか。

貧乏から脱出する方法

コロナ禍もあって、世界は大恐慌、異次元投資市場で一部の富裕層は潤う中、不景気ですね。

 

そんな環境だからこそ、なおさら「お金持ちだったら……」なんて、思う方も多いのではないでしょうか。

 

様々な成功者の本やブログ、動画が自己啓発を促しており、「成功したければ成功者を真似ろ」などと言われていますね。ですが、生憎、私は真似して成功したという人を見た事も聞いた事もありません。

 

失敗には理由があって、成功には理由がない物です。

 

そんな中ですが、あくまで貧乏という底辺から脱出するだけであれば、真似で確実に叶える事ができたりします。

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何故、貧乏になるのかを知る事から始まります

実はすごく簡単な話なのです。貧乏になっている理由は一つだけ。単純に欲張りだから。

 

主流のケースは、収入に対して、欲しい物や使いたい物の総額が勝っているというパターンです。典型的なのは、車です。ただ、移動する手段として捉えるなら、中古で貯めた現金で一括払いできる物を買えば良い話ですが、世間体という見栄やこだわりという欲によって、形や新古を選んだりしてしまいます。

 

この欲を捨てましょう。それだけで貧乏から脱出できます。

 

お金に余裕があって、高級オーガニック食材を使っているなら問題ありませんが、他の物は体に悪いからという一方向からの知識を鵜呑みにして、今の健康はもちろん、未来の健康までも欲するという欲張りも貧乏になります。

 

少しイレギュラーなケースですが、親の借金のせいで貧乏だった場合も、欲を捨てれば解決です。親が破産できれば、借金は消えます。したがらないのは、世間体やプライドという欲のせいでしょう。子の立場としては、親を助けたい、親と一緒に居たいという思いも、欲です。極論ですが、例え親であっても、切り捨てれば貧乏からは解放されます。

 

ここまでの内容でお気づきの方もいるかもしれません。そうです。貧乏は、自分でそうしているのです。

 

時代を変えるような発明をしたり、成功者と誰もが認める存在になったり、数千人という従業員を抱える大企業の代表取締役になる事は真似では難しいです。

ですが、貧乏から脱出するという事に関しては、欲を捨てるという誰でもできて、やっている人の多い事を当たり前でやれば解決してしまうのです。

 

貧乏な人は、「だって」「でも」と否定的な反論をしがちで、「できない」「無理」と簡単に諦める傾向があります。要するに、自分に甘い。ただそれだけなのです。

 

自分の欲に対して、厳しく接するだけで世界は変わります。お試しください。

失業と借金

空は高くなり、日差しは強く、暑くなりました。まさに、夏ですね。いかがお過ごしでしょうか。

 

さて、今回は失業と借金の相関関係について、見直そうと思います。コロナ禍で「失業した」という声も多く聞かれました。私も実際、数か月失業しました。

 

すでに破産が済んでいたため、生活できましたが、破産していなかったら……と考えるとゾッとします。

 

借金をしている人が失業をすると――3ヵ月程度の滞納で、大半の債権者は一括取り立てへシフトします。

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負のスパイラルが始まる

失業すれば、入金がないため、枠いっぱいの借り入れで凌ごうとしてしまいます。また、両親や兄弟などの肉親を頼り、お金を工面する事でしょう。

 

小さな額ならそれで何とかなるでしょうが、就業の仕方や離職の理由やタイミングによっては、支払っていたにも関わらず、雇用保険が効かず、失業手当が貰えないという場面に遭遇します。

例え貰えたとしても、3ヵ月目以降です。3ヵ月間は、支払のための借り入れを膨らませるか、滞るかという選択を迫られます。

自主退職なら諦めも付きますが、会社側の事情であっても状況によっては一切のセーフティネットに引っ掛からず、潜り抜ける事もあります。

 

不運な時は、不運が続く物ですが……とりあえず、失業手当を貰えたと過程します。3ヵ月凌ぎましたが、滞った借金の取り立てが始まります。そのほとんどは一括回収を目指しています。

自動車ローンや残価設定クレジットなら、車両の回収が始まります。車が無くなったら、仕事に行けなくなるというケースも多いと思います。ますます失業期間が延びる要因になります。

携帯電話の停止も失業期間を延長する要因になるでしょう。今の時代は、携帯電話があって当然です。ない時点で、「使いにくい」という印象に繋がります。

家賃の滞納があれば、退去を迫られるかもしれません。水光熱も止まるかもしれません。

クレジットで翌月に回して何とか食いつないでいた生活も、クレジットが利用不能になっているかもしれません。

 

こうなってしまったことを考えてみてください。さらに失業していると、追加での借り入れや新しい借入先は見つかりません。借金のために借金するというサイクルも不可能になります。

 

こうなる前に……

 

例え、後ろ指さされても素直に諦める事を私は勧めます。破産者は死んだ方がいいくらいに言う人もいますが、お金に追い詰まって人を騙したり、殺したりしてしまうよりはぜんぜんマシです。

 

絶対失業しないという事はありません。最悪の事態というのも想定してみてはいかがでしょうか。

今後の金融事情

破産者としてブログを書いてきましたが、今回は破産を取り巻く環境、金融業界の今後を語ろうかと思います。

 

そもそも、破産とは、その時点では返済能力が大きく不足している債務者の立て直しを目的として、借金(借入)を公的に免除してもらう制度です。債権者にしてみれば、たまったものではありません。

 

コロナ禍によって、限界まで耐えた企業や個人がバタバタと破産、または任意整理などの手続きをしていると言います。

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クラウドファンディング、キャッシュレス決済が金融業界を変える

これまでは、銀行という公的に金銭の貸し借り、投資の請負いと言った物の許可を受けた業界が個人の資産、支払能力、事業計画などを精査、評価して、運用したり、ローンなどの融資を行う形が主流でした。

 

今後はその形が変わって来ると言われています。ネット銀行の登場で、店舗の必要の是非が問われ、クラウドファンディングの登場で、融資という名目での金利による収益の枠も縮小傾向にあり、さらにキャッシュレス決済システムが、そのまま入金を受け付け始め、銀行を経由するメリットがなくなりつつあります。

 

また、前述したコロナ禍破産によって、これまでの融資やローンの焦げ付き、回収不能額も膨らみ続け、統廃合を繰り返して生き残って来た銀行業界は、ますます苦しい状況となっています。

 

この状況は、今後、破産という手続きに対してどう影響してくるのでしょうか。

 

まず、クラウドファンディングが主流となった場合、ただの収入不足による借入はしずらくなる可能性は上がります。何故なら、ファンドとして参加している人たちが目的がそれぞれ、事業性や貸し付ける側の興味によるところが大きいためです。

それに加えて、個人資産の集合体のため、銀行のように、破産や倒産を予め損失として考慮しておく習慣がなく、揉める可能性が高まり、免責にならない可能性が上がるものと思います。

 

こういった状況から、逆に闇金は増えるのではないでしょう。潜りであっても、どんな使途の貸付でも対応できるというメリットはますます強みとなり、たとえ金利が高かろうとも、お金がすぐに必要な人には重宝されるでしょう。逆に、闇金からすれば、マイナンバーカードを始め、様々な公的サービスによって、顧客の逃走を防ぐ要因が増えている事はプラスに働くのはないでしょうか。

 

以上のような流れは、あくまで私の予想です。ですが、支払いが苦しい人は、なるべく早めに破産や任意整理などの手続きを進めた方が良いかもしれません。

変異の速度と今後の対策案

新しい変異株が連日のように報道されています。この調子で変異に変異を重ねて行った結果、ワクチンは果たして効果があるのでしょうか。

 

流行当初から、『変異の速度が速い』と言われていました。そのため、2年目に入ってから変異、変異とメディアが騒いでいる事に、私は少し違和感を覚えています。

 

何故かというと、全て初期には分かっていた事なのです。という事は、当初から変異株は多数存在していたという事であり、それにも関わらず、今のように変異株と騒がれていなかったのです。何か隠しているのかもしれません。

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すでに追い切れないほどの変異が実際にはある

これはあくまで私の見解ですが、現在は致死率や感染力が飛び抜けて高い物だけをピックアップしてメディアが取り扱っている状態なのだと思います。

 

そして、変異を止める事はできないため、ワクチンはいずれ効かなくなります。

 

どうすればよいのでしょうか。

 

私は、『割り切るのが一番』だと思っています。インフルエンザと同等の扱いまで下げ、事故や癌などと同様で、かかったら致死の可能性もある人生の中にあるリスク程度の認識にするのが良いのではないでしょうか。

 

自粛、時短、いつまでですか。答えは分かりません。フルマラソンだって、42.195km先にゴールがあるから走れるのです。もし、ゴールのない無限マラソンだったら、誰も走ろうとは思わないでしょう。まさに今は、そんな状態だと思っています。

 

加えて、二倍体となっている以上、死を避ける事はできない生命体である人間です。避けられないのです、コロナでなくとも。これを踏まえた上、現在の社会はどうでしょうか。

 

過度な平穏と長寿を望み過ぎた結果が、少子高齢化社会を生み出したのではないかと思います。前記事でも書きましたが、まさに欲が創り出した世界です。

 

平均化、無差別化、大衆化。それらを正義としながら、多様化、マイノリティへの理解という矛盾した両極の定義を振りかざしている今日。

 

もしかしたら、地球から人間に対してのクイズなのかもしれません。

 

「君たちは選択を迫られた時、どのような答えを選ぶ?」

 

様々な意見の対立が進む社会。友人、知人、他人、家族……大切なコミュニティで激しい対立が起きてしまった場合、どうするべきなのか。

 

自分で油断で家族をコロナにしてしまい、もし恨まれたら……

そのまま、重症化して亡くなってしまった時、何を思い、後悔するのでしょうか。

 

少し、オカルトな内容になりましたが、読んでいただいた方は、良かったら少し、深いところまで考えてみてはいかがでしょうか。

三度目の緊急事態宣言

三度目の正直でしょうか。それとも、二度ある事は三度あるという結論になるのでしょうか。

 

こんばんは、ご機嫌いかがでしょうか。

私のご機嫌はあまりよくありません。理由はただひたすら、国の無責任で不真面目な政策と対応に苛立っているからです。

 

子供でも分かるような結論を、大の大人、それも優秀だと選ばれたはずの人々が束になって出しているのですから、真剣にやってもらいたいと思ってしまうのもお分かりいただけるのではないでしょうか。

 

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三度目という意味

一度目は初見です。「失敗するな」という方が無理があるでしょう。どんなエリートでも初見で最善手を打ち続けるのは不可能な事くらいは、国民の誰もが理解できています。だから、誰もが協力的でした。私もできる限りの協力は惜しみませんでした。

 

二度目。一度目を踏まえて、失敗から学ぶという改善要素を踏まえ、一度目よりもレンジを狭めた運用ができるのが本来の対応です。しかし、真剣さが足りない対応は一度目とほとんど変わりのない対策を打ちました。

 

現在の最新変異は別のようですが、原則、『飛沫』感染です。飛沫を飛ばさない環境であれば、感染するリスクは低いはずです。しかし、漠然とした対策ばかり打たれ、関係のない業界までとばっちりを受け、経済はガタガタです。

 

夜の街、若者、飲食、酒。本当にこれが原因でしょうか。分かりやすく、叩きやすいところに責任を押し付けていただけではないでしょうか。

 

最初の時点で、重症化するのは高齢者と基礎疾患のある方という事は分かっていたのですから、対象者を隔離して、その他の人は、日常を続ければよかったのではないでしょうか。

 

三度目。もう国民が協力しているようには思えません。旅行も平気でしています。政府や分科会関係者が不祥事を起こすばかりです。そんな人たちに誰が従うでしょうか。

政府の腐敗と独裁が浮き彫りになったコロナ騒動

コロナ禍は、本当に腐敗している日本を見る良い機会になったと思います。賢い人たちはお気づきだと思います。私はつくづくうんざりしました。

 

ただ、これは日本に限った事ではなく、人間社会という物が古今東西見渡す限り、こういった仕組みを作りたがる生き物であるという事なのです。

 

だから、差別はなくなりません。貧富の差もなくなりません。努力する人が損する社会もなくなりません。

 

結局、昔から言われる『人生、楽しんだもん勝ち』というのが、本質的な真理なのだと思います。また、人間の敵は一つです。

 

欲という悪魔のみです。

オリンピック開催の是非

長引くコロナ禍で混乱する社会ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

連日、誰のために開催されるのか分からないオリンピックについての議論がメディアを賑わし、無責任なコメンテーターやテレビマンたちが好き勝手な持論を展開していますね。

 

経済のため、アスリートのため……本当にそうなのでしょうか。今回は、せっかくなので私も持論をお届けしたいと思います。

 

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本来のオリンピックとは

まず、オリンピックとは、古代オリンピックと近代オリンピックという形で二分されます。

 

ギリシャ神話をモチーフに神聖なる競技祭というスタイルで、期間中は戦争をせず、世界中が競技を楽しもうというものが古代オリンピックです。

 

そして、それを復活させようというフリーメイソン所属のピエール・ド・クーベルタン男爵の声かけによって、1986年に始まったものが近代オリンピックと呼ばれています。当初はアマチュアアスリートの祭典のため、資金集めに苦労しながらの開催でしたが、回を重ねるごとに万物博覧会とのコラボ、政治、企業とのコラボなどによって、規模を大きくしていったと言われています。

 

二度の世界大戦やその他の政治的トラブルなどにより、平和の祭典という言葉だけが先行する世界規模の商業イベントとなっている印象すら受けますね。

 

本来の意味を追求するのであれば、現在も紛争が続くガザ地区やミャンマーなどへの介入、及び停戦、終戦のメッセージを強くする正しいと私は考えています。

アスリートファーストという綺麗事の危険性

オリンピック賛成派はこぞって言いますが、「アスリートのためにやるべきだ」という言葉、疑問に感じませんか。

「この日のために、アスリートは頑張って来た」

印籠のように飛び出す言葉ですが、私は尋ねたいのです。頑張っているのはアスリートだけですか、と。

 

私は失業から自己破産、見事にコロナセーフティネットを全てすり抜け、財布も生活も苦しい中、コロナ禍という風評に加えて、実害に怯えて日々を過ごしています。

私だけではありません。アスリート以外の皆さんは、多かれ少なかれ、同様にそれまでの日常より大変な目に合っていると思います。

 

何が言いたいのかと言いますと……

「アスリートじゃなくても、頑張って生きてるんです」

という事です。

 

四年に一度だから貴重だと言いたいのかもしれませんが、普段の毎日だって貴重です。明日、大切な人と死に別れるかもしれないのです。

 

去年の時点で、オリンピックは諦めていれば、日本はもっと被害が少なかったと思います。

 

という訳で、私の開催に対して否定派としての一つのメッセージでした。

借金は罪ではない

いかがお過ごしでしょうか。

 

夏に向かってどんどん気温上昇を感じる季節です。私は夏男でして、バイオリズム、運気も夏が一番上がります。良い事が起きるのは全て夏なのです。不思議な物です。

 

去年一年間で、かなりの企業、個人が倒産、破産したといいます。そして、若年層を中心に自殺者が増加していると報じられます。

 

少子高齢化と言われる中、どちらにしても先はそれほど長くない高齢者たちが「死にたくない」と医療を頼る中、未来の希望、要である若年層は自らの意思で死を選んでいるという、なんとも滑稽な世の中だと思いませんか。

 

少子化を改善する方法・・・あなたはどんな方法があると思いますか。

 

さて、今回のテーマは、借金をすることに対して罪の意識を持つ方が多いことに着目してみたいと思います。

 

#少子化

借金こそ、経済を大きくした要因

借金なくして、経済の成長というのはあり得ないのです。何故なら、未来の利益を先取りする行為こそ、借金だからです。そして、未来の利益を先取りして、それを投資する事によって、今をより利益の出る物とする事を目的としています。

 

従って、借金は罪ではないのです。

 

では、性格や思考が罪なのでしょうか。それも違います。国家ですら国債という借金を発行し続けないと回らない仕組みの中に私たちはいるのです。

国家より大きな存在ではない一個人という単位が、その影響を受けないはずがないわけで、前の記事でも書きましたが、結局のところ、お金という概念は運という要素と密接にリンクしている事に起因しています。

 

例えば、絵が凄まじく上手いイラストレーターがいます。しかし、運がないと売れません。逆に下手な歌手でも、運がいいと売れてしまい、お金持ちになれますよね。

 

努力と比例しないのです。

だから、借金苦に陥った事と努力や思考は関係ありません。

 

このことを私は何度も言っていますが、この概念を理解する事が差別をなくし、幸福度を高めます。だから、伝えているのです。

 

先進国ではありますが、幸福度ランキングでは下の方となってしまった日本です。技術力もインドや中国、韓国などに後れを取り、過剰サービス、過剰機能、過剰スペックが横行してしまい、デフレデフレデフレと収入を増やす方向性がまったく見えない国となってしまいました。

 

この方向性の原点にあるのが、現在のスタンダードな思考、金持ちこそ正義、金持ちこそ全てが正しい思想です。

 

金と努力、人格を切り離せないが故の答えです。

 

切り離してください。世界はもっと輝いて見えると思いますよ。