変異の速度と今後の対策案

新しい変異株が連日のように報道されています。この調子で変異に変異を重ねて行った結果、ワクチンは果たして効果があるのでしょうか。

 

流行当初から、『変異の速度が速い』と言われていました。そのため、2年目に入ってから変異、変異とメディアが騒いでいる事に、私は少し違和感を覚えています。

 

何故かというと、全て初期には分かっていた事なのです。という事は、当初から変異株は多数存在していたという事であり、それにも関わらず、今のように変異株と騒がれていなかったのです。何か隠しているのかもしれません。

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すでに追い切れないほどの変異が実際にはある

これはあくまで私の見解ですが、現在は致死率や感染力が飛び抜けて高い物だけをピックアップしてメディアが取り扱っている状態なのだと思います。

 

そして、変異を止める事はできないため、ワクチンはいずれ効かなくなります。

 

どうすればよいのでしょうか。

 

私は、『割り切るのが一番』だと思っています。インフルエンザと同等の扱いまで下げ、事故や癌などと同様で、かかったら致死の可能性もある人生の中にあるリスク程度の認識にするのが良いのではないでしょうか。

 

自粛、時短、いつまでですか。答えは分かりません。フルマラソンだって、42.195km先にゴールがあるから走れるのです。もし、ゴールのない無限マラソンだったら、誰も走ろうとは思わないでしょう。まさに今は、そんな状態だと思っています。

 

加えて、二倍体となっている以上、死を避ける事はできない生命体である人間です。避けられないのです、コロナでなくとも。これを踏まえた上、現在の社会はどうでしょうか。

 

過度な平穏と長寿を望み過ぎた結果が、少子高齢化社会を生み出したのではないかと思います。前記事でも書きましたが、まさに欲が創り出した世界です。

 

平均化、無差別化、大衆化。それらを正義としながら、多様化、マイノリティへの理解という矛盾した両極の定義を振りかざしている今日。

 

もしかしたら、地球から人間に対してのクイズなのかもしれません。

 

「君たちは選択を迫られた時、どのような答えを選ぶ?」

 

様々な意見の対立が進む社会。友人、知人、他人、家族……大切なコミュニティで激しい対立が起きてしまった場合、どうするべきなのか。

 

自分で油断で家族をコロナにしてしまい、もし恨まれたら……

そのまま、重症化して亡くなってしまった時、何を思い、後悔するのでしょうか。

 

少し、オカルトな内容になりましたが、読んでいただいた方は、良かったら少し、深いところまで考えてみてはいかがでしょうか。

三度目の緊急事態宣言

三度目の正直でしょうか。それとも、二度ある事は三度あるという結論になるのでしょうか。

 

こんばんは、ご機嫌いかがでしょうか。

私のご機嫌はあまりよくありません。理由はただひたすら、国の無責任で不真面目な政策と対応に苛立っているからです。

 

子供でも分かるような結論を、大の大人、それも優秀だと選ばれたはずの人々が束になって出しているのですから、真剣にやってもらいたいと思ってしまうのもお分かりいただけるのではないでしょうか。

 

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三度目という意味

一度目は初見です。「失敗するな」という方が無理があるでしょう。どんなエリートでも初見で最善手を打ち続けるのは不可能な事くらいは、国民の誰もが理解できています。だから、誰もが協力的でした。私もできる限りの協力は惜しみませんでした。

 

二度目。一度目を踏まえて、失敗から学ぶという改善要素を踏まえ、一度目よりもレンジを狭めた運用ができるのが本来の対応です。しかし、真剣さが足りない対応は一度目とほとんど変わりのない対策を打ちました。

 

現在の最新変異は別のようですが、原則、『飛沫』感染です。飛沫を飛ばさない環境であれば、感染するリスクは低いはずです。しかし、漠然とした対策ばかり打たれ、関係のない業界までとばっちりを受け、経済はガタガタです。

 

夜の街、若者、飲食、酒。本当にこれが原因でしょうか。分かりやすく、叩きやすいところに責任を押し付けていただけではないでしょうか。

 

最初の時点で、重症化するのは高齢者と基礎疾患のある方という事は分かっていたのですから、対象者を隔離して、その他の人は、日常を続ければよかったのではないでしょうか。

 

三度目。もう国民が協力しているようには思えません。旅行も平気でしています。政府や分科会関係者が不祥事を起こすばかりです。そんな人たちに誰が従うでしょうか。

政府の腐敗と独裁が浮き彫りになったコロナ騒動

コロナ禍は、本当に腐敗している日本を見る良い機会になったと思います。賢い人たちはお気づきだと思います。私はつくづくうんざりしました。

 

ただ、これは日本に限った事ではなく、人間社会という物が古今東西見渡す限り、こういった仕組みを作りたがる生き物であるという事なのです。

 

だから、差別はなくなりません。貧富の差もなくなりません。努力する人が損する社会もなくなりません。

 

結局、昔から言われる『人生、楽しんだもん勝ち』というのが、本質的な真理なのだと思います。また、人間の敵は一つです。

 

欲という悪魔のみです。

オリンピック開催の是非

長引くコロナ禍で混乱する社会ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

連日、誰のために開催されるのか分からないオリンピックについての議論がメディアを賑わし、無責任なコメンテーターやテレビマンたちが好き勝手な持論を展開していますね。

 

経済のため、アスリートのため……本当にそうなのでしょうか。今回は、せっかくなので私も持論をお届けしたいと思います。

 

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本来のオリンピックとは

まず、オリンピックとは、古代オリンピックと近代オリンピックという形で二分されます。

 

ギリシャ神話をモチーフに神聖なる競技祭というスタイルで、期間中は戦争をせず、世界中が競技を楽しもうというものが古代オリンピックです。

 

そして、それを復活させようというフリーメイソン所属のピエール・ド・クーベルタン男爵の声かけによって、1986年に始まったものが近代オリンピックと呼ばれています。当初はアマチュアアスリートの祭典のため、資金集めに苦労しながらの開催でしたが、回を重ねるごとに万物博覧会とのコラボ、政治、企業とのコラボなどによって、規模を大きくしていったと言われています。

 

二度の世界大戦やその他の政治的トラブルなどにより、平和の祭典という言葉だけが先行する世界規模の商業イベントとなっている印象すら受けますね。

 

本来の意味を追求するのであれば、現在も紛争が続くガザ地区やミャンマーなどへの介入、及び停戦、終戦のメッセージを強くする正しいと私は考えています。

アスリートファーストという綺麗事の危険性

オリンピック賛成派はこぞって言いますが、「アスリートのためにやるべきだ」という言葉、疑問に感じませんか。

「この日のために、アスリートは頑張って来た」

印籠のように飛び出す言葉ですが、私は尋ねたいのです。頑張っているのはアスリートだけですか、と。

 

私は失業から自己破産、見事にコロナセーフティネットを全てすり抜け、財布も生活も苦しい中、コロナ禍という風評に加えて、実害に怯えて日々を過ごしています。

私だけではありません。アスリート以外の皆さんは、多かれ少なかれ、同様にそれまでの日常より大変な目に合っていると思います。

 

何が言いたいのかと言いますと……

「アスリートじゃなくても、頑張って生きてるんです」

という事です。

 

四年に一度だから貴重だと言いたいのかもしれませんが、普段の毎日だって貴重です。明日、大切な人と死に別れるかもしれないのです。

 

去年の時点で、オリンピックは諦めていれば、日本はもっと被害が少なかったと思います。

 

という訳で、私の開催に対して否定派としての一つのメッセージでした。

借金は罪ではない

いかがお過ごしでしょうか。

 

夏に向かってどんどん気温上昇を感じる季節です。私は夏男でして、バイオリズム、運気も夏が一番上がります。良い事が起きるのは全て夏なのです。不思議な物です。

 

去年一年間で、かなりの企業、個人が倒産、破産したといいます。そして、若年層を中心に自殺者が増加していると報じられます。

 

少子高齢化と言われる中、どちらにしても先はそれほど長くない高齢者たちが「死にたくない」と医療を頼る中、未来の希望、要である若年層は自らの意思で死を選んでいるという、なんとも滑稽な世の中だと思いませんか。

 

少子化を改善する方法・・・あなたはどんな方法があると思いますか。

 

さて、今回のテーマは、借金をすることに対して罪の意識を持つ方が多いことに着目してみたいと思います。

 

#少子化

借金こそ、経済を大きくした要因

借金なくして、経済の成長というのはあり得ないのです。何故なら、未来の利益を先取りする行為こそ、借金だからです。そして、未来の利益を先取りして、それを投資する事によって、今をより利益の出る物とする事を目的としています。

 

従って、借金は罪ではないのです。

 

では、性格や思考が罪なのでしょうか。それも違います。国家ですら国債という借金を発行し続けないと回らない仕組みの中に私たちはいるのです。

国家より大きな存在ではない一個人という単位が、その影響を受けないはずがないわけで、前の記事でも書きましたが、結局のところ、お金という概念は運という要素と密接にリンクしている事に起因しています。

 

例えば、絵が凄まじく上手いイラストレーターがいます。しかし、運がないと売れません。逆に下手な歌手でも、運がいいと売れてしまい、お金持ちになれますよね。

 

努力と比例しないのです。

だから、借金苦に陥った事と努力や思考は関係ありません。

 

このことを私は何度も言っていますが、この概念を理解する事が差別をなくし、幸福度を高めます。だから、伝えているのです。

 

先進国ではありますが、幸福度ランキングでは下の方となってしまった日本です。技術力もインドや中国、韓国などに後れを取り、過剰サービス、過剰機能、過剰スペックが横行してしまい、デフレデフレデフレと収入を増やす方向性がまったく見えない国となってしまいました。

 

この方向性の原点にあるのが、現在のスタンダードな思考、金持ちこそ正義、金持ちこそ全てが正しい思想です。

 

金と努力、人格を切り離せないが故の答えです。

 

切り離してください。世界はもっと輝いて見えると思いますよ。

債務者が破産を決めると・・・

予定通り、移住しました。イメージ通りの場所ではないですが、今は少しの間、貯金を増やす方向で動いているため、多少の誤差は目をつぶらなければいけません。

 

引っ越しはお金がかかりますからね。引っ越し貧乏とはよく言ったものです。

 

実際、私の引越回数は多く、そのせいで貧乏になった部分もあると思います。転勤族ではないのです。

しかし、縁が弱いのでしょうか。どの地域も長く住めず・・・一番長く住んでいた場所は、10歳の時に父が新築で立てた家でした。高校卒業後、一人暮らしを始めるまで住んでいた8年間なのです。

それ以外は、約2年周期で住む場所が変わっているようです。振り返ってみると驚愕の移住っぷりですね。まるで昔のクラシック奏者のようです。

 

さて、今回は、債務者が破産を決めて弁護士を付けると豹変して、借金で苦しむ人や借金をしている人をバカにする人へマウントを取り始めるというSNS上での話を紹介したいと思います。

 

#移住

#自己破産 と検索すると・・・

Twitter上で、借金まみれな自身の正当化や懺悔、苦しみの共有など様々な用途で、たくさんの債務超過者が語っています。

 

「教えてくださってありがとうございます!」

 

などの丁寧なやり取りが多いのですが、よく見ていると恐ろしい言動もちらほら見かけます。2ちゃんねるより酷いなと思う場面すら、見かける次第です。

 

「自己破産の手続き始めました!皆さんのおかげで決心が固まりました!ありがとうございます!」

 

と言っていた方がいました。それから数日もせず、この方は豹変しました。

 

「私も苦しかったです。そういう気持ちなら破産をされた方がいいと思いますよ」

 

自分が楽になったのですから、勧めたくなる気持ちは分かります。しかし・・・

 

「私は自己破産を選んで本当に賢い選択をしたなと思っています。任意整理を選ぶ人を理解できません」

 

それから、この方は何故か自分は賢い、貴方は賢くないと感じのマウントを取った話し方を収支続けていました。

 

それまでさんざん、低姿勢で相談を繰り返していた方が、自己破産を決定して、督促が来なくなったのでしょう。その余裕からか、今度は他人を見下す始末です。

 

生物として、生き残るために備わっている防衛本能、それが差別であり、自分を優位にしたいとマウントを取ろうとする行為です。弱者を見つけて、それを潰すことで自身の安全を担保するという本能・・・

 

「差別反対!」

 

そう声を荒げる人ほど、差別をしている自覚がなかったりしますよね。

果たして、人はそれに打ち勝つ事ができるのでしょうか。

春の到来と将来の展望

春ですね。暖かくなってホッとしています。コロナウィルスも、季節によってかなり勢力を弱めている事でしょう。

 

自己破産者というのは、借金まみれになっているため、いい加減なイメージがあるかもしれませんが、実は大半の方が真面目です。何故なら、このままでは借金を払えないと計算できて、その事に真剣に向き合い考え、弁護士にそれなりの費用を支払い、裁判という形で公的に決着を付けるからです。

 

夜逃げしたり、犯罪に走ったり、のらりくらり引っ張ったりしないのです。失敗に真っ向から向き合い、反省し、改善を考える真面目な層なのです。

 

ただ、私も含め、破産者に足りなかったものは運、ただそれだけです。

 

例えば、ギャンブル狂いだとしても、運が良くて勝っているならば自己破産には至りませんよね。会社の倒産や失業、転職などによる収入減少に伴う収支逆転も、不運でしかないです。収入が減らない場所へ入る事ができなかっただけです。

 

これを目にした自己破産者の方、そして、周りに破産者や借金苦の方がいる方は、その事を理解しておいてください。努力や性格は、関係ありません。悪いのは、運だけです。

 

#将来

やる気がみなぎる春

去年2月から、ダイヤモンドプリンセス号の横浜港隔離から始まった日本のコロナパンデミック・・・おかげで丸一年、暗い話題ばかりでした。しかし、不思議な物で春というのは、明るい気持ちになり、やる気も出て来ます。

 

今の日本をダメにしているのは、コロナを過剰に怖がってしまっているパニック層と、そのパニック層を否定している過激派による分断です。どちらも冷静になりましょうとしか言えません。

 

ワクチンのおかげでこの分断が弱まってくれれば、一昨年のように自由な社会が戻って来る事でしょう。それを願いながら、私は今、新しい生活に向けて準備をしています。

 

約1年半前、私は田舎へ移住しました。様々な夢を引っ提げて・・・しかし、運がなかったようで思い通りにいきませんでした。ただ、一つ得た結果としては、この地域の気候は期待していたよりも悪かった、という点です。

 

私は居住地域を自分の性格に合った気候のエリアにしようと考えています。そして、来る南海トラフ沖地震や首都直下型地震などで影響が少ない地域という点も踏まえています。

 

日本ではない

 

というのが答えなのですが、年齢的にも資産的にも現在の状況的にも気軽に海外へ出られる状況でもないという悔しい現状ですので・・・

 

更に絞り込んだ地域への移住を四月に予定しています。そのため、今からワクワクしています。

 

今回はそんな報告でした。

自己破産でも税金は免除にならない

緊急事態宣言が徐々に解除され始めていますが、いかがお過ごしでしょうか。ワクチンワクチンと期待は膨らんでいますが、実際は後手後手どころか、10%も予定通りに行っていない状態です。

 

私はワクチン接種反対派です。かかっても重症化しない自信があり、元々西洋医学、軍医学への不信感が強いため、信用できません。

 

そんな中ですが、二度目の自己破産を終えた私が今、頭を抱えているのが・・・

 

これまでに滞納していた税金類です。

 

#税金滞納

税金という名が油断を誘う

一度目の自己破産で私は学んでいました。しかし、油断していました。というよりは、予定ではもっと早く収入増加していたはずだったのです。

今となってはただの言い訳でしかないのですが、二度目の自己破産をする予定もなかったもので、収入減少に合わせて借入して・・・と繰り返したわけです。

 

借入が止まってしまうと回らない――

 

そんな恐怖が常に付きまとうようになりました。そのため、借金を優先的に返して、借りなければならず、税金などを後回しにし始めます。

 

これがすでに間違いなのです。

 

借入などは、正式な手続きを踏まないと差押はできません。要するに、相応の費用がかかるのです。そのため、債権者も催促はするものの、差押はなかなかできないのが現実です。負債額が小さければ小さいほど、差し押さえるメリットが減るためです。

 

しかし、税金は違います。

 

まず、督促が来ます。収入が足りないと相談に行っても、対応してくれるのはせいぜい分割納付程度です。それも待ってくれて半年。そこからは問答無用で財産調査などが始まります。

 

その自治体がある地域の地方銀行などの口座を使っている場合や、給付金や子供手当などを受け取った事がある口座に現金がある場合、強制的に現金を引き出されてしまいます。

 

通帳記帳するとサシオサエの文字に驚きます。

 

給与が入るタイミングなども銀行からリークされてしまい、着金同時引落という方法で回収してくるようになります。なお、この強制回収は給与の半額、最大10万円までとなっています。

 

実は、税金の滞納に対する対応の方が容赦ないのです。

 

債権整理を考えている方は、税金を後回しにしていませんか。しているようなら、整理を始めたらまず、税金から払い始めると良いでしょう。

 

滞納していると行政サービス、補助金や助成金なども受けられない場合が増えます。これが意外とリスクです。収入を増やそう、事業を始めようなどの展開の際にはかなり足を引っ張ります。

 

支払不能になりそうな方は、借金より税金納付を優先しましょう。

任意整理と自己破産の違い

爆弾低気圧が通り過ぎ、春の匂いが強くなってきました。先日、市営公園で梅の木を見ていたところ、ウグイスがやってきました。花札を思い出す美しい光景でした。

 

昨年からコロナ、コロナで生きた心地がしませんでしたが、今年こそ、今までのように自由に動き回れる社会が戻って来ることを願っています。

 

さて、そんな中ですが、よく言われる任意整理と、自己破産はどう違うのか。今回はそんなテーマでお届けしたいと思います。

 

#自己破産

任意整理のメリットとデメリット

私としては、任意整理にメリットを感じないのですが、一応語りたいと思います。

メリット

  • 自己破産のように借金を帳消しにする訳ではなく、返済方法、期間の見直しや金利の交渉をする事によって、払って行く事ができる形を作り出せます。責任感の強い人は、帳消しに対して罪悪感があるため、こちらを選ぶ傾向があるようです。

はっきり言って、メリットはこれだけです。では、逆にデメリットを説明しましょう。

デメリット

  • 自己破産同様、信用情報はブラックリスト入りのため、新規借入はもちろん不可能になります。借金がなくなっていないのに、借入はできないのです。少しでも足りなくなったらアウトになります。
  • 自己破産と比べて、弁護士費用は少し安いもののしっかりかかります。その分は、借入できない中で家族や友人から借りるか、分割払いというリスクを負う事になります。
  • 返済が長期化するため、財源を担保しにくくなります。歳を取れば取るほど、失業リスクは上がるからです。

借入総額は減っていない上、上記によって負債は更に膨らんでいる状態になります。その後、収入を短期間で増やせる算段があるのでしたら止めませんが、返せなくなっている状態のため、債権整理を考えたはずです。

 

それにも関わらず、負債を増やし、新規借入ができない状況に飛び込みます。一時の罪悪感からの逃避のための手段は、いずれ間違いだと気づくと思います。

 

何故なら、浪費癖や博打癖など、個人の嗜好はそう簡単に変えられないからです。

 

我慢できたとしても、それがストレスとなり、他の発散方法を求めます。結果、再び返済不能がやって来ます。結局、自己破産するのです。

 

ここで自己破産する際に、再び弁護士費用がかかってきます。この時に皆さん、思うようです。

 

「あの時、自己破産しておけばよかった・・・」

 

こうならないためにも、弁護士に勧められるままに任意整理ではなく、自らの意思で自己破産を申請すべきだと私は思います。

二度目の自己破産を終えて

温かくなったり寒くなったり、この時期は三歩進んで二歩下がるなんて言われていますが、まさにそれを今年はしっかり感じさせてくれています。

 

さて、今回は前回説明しそびれていた二回目の自己破産について、詳細を紹介したいと思います。

 

二度ある事は三度あると言いますが、三度目はないようにしたいものです。

 

#自己破産

わずか5分で閉廷

開廷15分前に弁護士と合流しました。そこで段取りを確認し、5分前に法廷へ。ドラマやニュースなどで見かける法廷と比べるとコンパクトな物です。

 

所謂、検察官側に座る向かいの席には管財人、そして、裁判長席の横にはすでに書記官が座っていました。

 

挨拶交わし、無言の待ち時間が始まりました。時間になると、書記官が内線で裁判長を呼び出し、間もなく裁判長が現れました。

 

立ち上がり、頭を下げ、席に付きます。

 

「では、管財人の方から説明を」

 

促されるまま、管財人が資料を読み始めます。この資料とは、私の破産に至る経緯と、管財人によって調査された財産や負債、生活などについての報告です。

 

「多少、認識の甘さがあるにせよ、免責が妥当だと思われます」

「分かりました」

 

裁判長と管財人のそんなやり取りが終わり、裁判長が私を見ました。

 

「管財人の申し立ての通り、認識の甘さはあります。反省していますか」

「はい、二度と借入なんてしません」

 

裁判官の問いに、私はそう答えました。すると頷いた裁判官は、閉廷と声をかけ、一同立ち上がり、礼をしました。

 

あまりの速度に、私は呆気に取られていました。

 

「終わりましたね。問題がなければ、数日中に書面で通達があると思います」

 

弁護士はそう話しました。

 

「終わり、ですか?」

「ええ、終わりました」

 

私はあまりの速さに、終わった事を実感できずにいました。

 

「郵便物は明日からそちらに届きます。稀に間違えてうちに来たりもするので、その時は連絡させてもらいます」

「あ、はい。ありがとうございました」

 

近付いて来た管財人がそう声をかけて来たので、お礼を言いました。

 

二度目なので、何か言われるのかと思っていました。しかし、そこに触れられる事はありませんでした。

 

これが現実

実際、裁判はこんな物なんです。私の場合、揉める可能性の高い債権者に対して、そもそも負債を抱えないように生きている事も大きいのですが、損失として計上できる業界、しかも大手にとっては、破産は日常茶飯事のため、一般的な額では揉める事すらありません。

 

借金に悩める方は、ぜひ自己破産してください。とても楽になります。

2021年の抱負

かなり冷えますね。風邪など引いたりしていませんか。インフルエンザやコロナなどにかかり、重篤化していない事を願っています。

 

さて、延期されたオリンピックですが、果たして今年、開催されるのでしょうか。

 

私は無事、自己破産裁判を終え、免責されたため、晴れて無借金の身として、再び人生設計を考えているところです。

 

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やはり借金という物がないと、安心して予定が組めますし、慌てて計画を実行する必要もなくなるので、ゆとりのある生活になります。

 

私の記事を見て、自己破産を決断した方はどのくらいいるのでしょうか。少し気になるところですが、今回は、私の2021年の抱負を書かせてもらおうと思います。

 

2021年上半期

 

抱負というのは、「●●したいな」などという漠然な物だと、何もしないで終わります。そのため、スパンを短くし、完結に表現できる大きさまで細分化した目的を持つ事が大切です。

  • 降水量、降水日が現在地より小さく、人口、事業所数が多い地へ移動
  • 執筆活動での収入倍増
  • 動画コンテンツや音声コンテンツアイデアの形成

上記のように、まず期間は三か月から半年程度に区切り、内容もその期間で可能である、またはあろう内容を拾い出す事で、明確にすることができます。

私は雨が大嫌いでして、雪も嫌いです。ですから、それらは少ないに越した事はありません。

住む地域というのは、変えるのは容易ではありません。ですが、住む場所こそ、全てに影響するのです。

そのため、落ち着く土地が見つかるまでは軽装のままというのを心がけています。

いずれは海外での生活も視野に入れているため、その他にも様々な要項はありますが、記載の三点が上半期の大きな目標です。

 

2021年下半期

 

  • 海外に支店を持つ(あるいは海外から日本に支店を持つ)企業での就業(または業務提携)により、希望国の就労ビザ取得の可能性の獲得
  • 子作り
  • 英語学習の再開

 

私は、寒い時期は暖かいところで、暑い時期は涼しいところでという我儘をベースにライフスタイル形成を目指しています。

また、これまでも海外への渡航、外国人との交流はありますが、まだまだ広げたいと考えています。

そして、上半期で立てた目標の下二つを達成する事で、海外での安定した収入源を得る事ができます。

それから、住みたい国を探して、そこと繋がりのある事業へ参画する事で二国間生活を実現させたいと考えています。

 

アホみたいな目標だと思われるかもしれませんが、やってみなければ分からないのが世の中です。やってみたいと思っています。

 

理想の生活は人それぞれ

 

私は様々な仕事、業務、環境、地域を体験し、そこで様々な人に出会い、情報を交換してきました。だからこそ、はっきりと見えたのですが、千差万別に価値観があり、理想も十人十色なのです。

「これが正しい」と自分の生きて来た中から、他人の幸せだと押し付けたところで、その人が幸せと感じるとは限らないのです。

まさに前回の記事で扱ったモラルと結びつくのですが、幸せという答えが明確に一つでない以上、それに合わせて理想の生活も変化するという事です。

 

夢を見るか叶えるか

 

私は自己破産をするような人間です。人によっては、失敗者のレッテルを貼るのではないでしょうか。

しかし、私はやりたい事はやって来れています。今日死んでも後悔はありません。自殺も考えるほど弱い人間ですし、他人の期待を裏切ったりもしてきました。社会規範を目指すような優秀な人間ではありません。

人生は一度きりです。泣いても笑っても一度です。我慢して生きても、悔いて生きても、楽しく生きても変わらないのです。我慢したから一日増える、悔いたから一日減るという事ないのです。

 

だったら、好きに生きたらいいと思うのです。他人の目を気にするより、自分の心に素直な方が幸せに生きられると思います。お試しください。